カウントダウン開始

年末に


舞台が決まった。
私が希望する演目に許可が下りるかはまだわからない。
あとは一日にたとえひとつでもそのために
自分から積極的に攻めることができるかどうか。

どきどきしてくる。


スポンサーサイト

バレエ団の旬

陣容の充実著しいロイヤルバレエ


日本の新国立でこの3本のミックスビルを上演しようとしたら
男性が足りない。
女性すら足りない。
板の上に立つだけで、存在感で圧倒する存在の人が
少なすぎるから、アンサンブルとして成立しない。
バーンスタインの生誕100年のお祝いの一環で
ロイヤルが企画したバーンスタイン・センテナリーを
映画館でワンチャンスだったので観た。

これらのバレエはNYCBでもオペラ座でも
上演は可能だけれども、振付家の3人の意図を
具象化できるかというと今のロイヤル以外は
考えにくい。
または、唯一他に思い浮かぶのがHET NATIONALか
SFBか、キャストによってはNPBか。

新作を観るときおもしろいのは、
次世代の陣容が見えてくることだ。
今回もプリンシパルの高田茜さんとマグレガー作品で
3年目のChisato Katsuraさん(彼女は大阪生まれの中国系だけれどほぼほぼ英国人)が
キャストされ遺憾なくその存在感を放っていた。
同じく、プリンシパルのヤスミン・ナグディとペアを組んで
踊っていたのが、ベアトリクス・スティックス・ブリュネル
ふたりのin the same nutshellという感じを
ウィールドンがとてもうまく使った感じ。

「不安の時代」では、
ずっとその良さがわからなかった
アレクサンダー・キャンベルの凄さが見えて
うお~っ!と思う。
ダンスのプロットもとてもよかった。

そして今回の白眉は何といっても「コリュバンテスの遊戯」で
芯を踊ったTierney Heap

tienery.png

クラシック「しか」踊れないバレエダンサーが
いかにつまらないかがよくわかる。
ゾクゾクするようなスリリングな感興を
作品から伝えてくれるダンサーってすごい。

おとくな3本立てだった。


記憶といういきもの

忘れる、忘れない、忘れたい、忘れられない





一番最初の記憶は何ですか?





ぱきっと答えられるひとはすごい。
うーん
考え込んでしまうだろう。普通。
でも、反射的にあるシーンが
そのことばでよみがえるということは
結構あるかもしれない。

今思い出せるのは
母が薄暗い台所(決してキッチンとは呼べない北側の場所だった)
で、お彼岸のおはぎを作っているシーン。
わたしは床にしゃがんでいる。
母は、黒ゴマやきなこや粒あんの
3種類のおおぶりなおはぎ
つまりぼたもちを作る。
記憶が錯綜しているのは
お彼岸なのに、私が夏の
ノースリーブのワンピースを着ていること。
弟は隣にいて
妹は続きの六畳間の歩行器の中に
入れられていた。


これが、私の記憶の原風景ということになろうか。
しかし人間の脳はとても巧妙らしい。
記憶を自分の都合の良いように
勝手に組み替えてしまうらしい。

するともうひとつの不安が
私の中に生まれる。
いったい何を都合よく消去し
脚色し、組み合わせて登場した記憶の原風景なのか。
私が忘れたことや、忘れたかったことと
忘れないでいること、忘れられないことはどのように
脳の中でモザイクのパズルを組みあげ
私に思わせるのだろう。

自分がずいぶん長い間
このひとの人生に深くかかわりたいと
思うことなく
一日が飛ぶように過ぎている時間を
過ごしてきているのだなと
思う。
それは決して不幸なことではない。
限られた時間を、どれだけ豊かに
忘れられないことで満たしていけるのか。

無為の時間の余裕を失うことが
歳をとることなのだともあらためて思う。





ふと眺める路傍の一輪の花
空の色 雲のかたち
日差しと影
ビルのジャングルの向こうに見える景色
今日読んだ数行の本




あとどれだけ
うつくしいものに出逢うことが
できるのだろうか。
観たり、聴いたり
Life is so beautiful
But never be perfect



自分に必要なチャレンジ

ご迷惑にならないように必死の形相


数か月に一回、自分に無謀なクラスを受ける。
覚えきれない長いアンシェヌマンの組み合わせ
と、音とり、そして動きのパターン。
普段のクラスの延長線上にある
すべての動きが、頭にパニックを発生させる。
グループの最後に入り
必死で頭に叩き込みながら
三つあったらせめてひとつ!
あとは、進路妨害と場所で
迷惑にならないように必死の形相になる。



c.png



レベルの高いひとに揉まれるのは
とても大切なことだと痛感するのは
こんなとき。
あとは、「ああ、こんなふうになれたら
すてきだろうなあ」という先輩たちの
レッスンを見られるが第一。
それから、少しでも難易度が上がると
あたふたするのは、
それを練習する機会がないということも
大きいからなのだ。

玉砕したアレグロは

1stからスタート
跳んで2番からバッチュ
ジュッテ3
グリッサード~ジュッテ
そのままフリーレッグを
アチチュード・クロワゼに
ソッテ2 (きつい)
グリッサード~パ・ド・シャ
グリッサード~ブリゼ~ポーズ


わらわらと終る。
道すがら頭では完璧にできるのにと
がっくりとしつつ、また次回。
こんなことを何回くりかえして
いることかと自分を笑う。
これが私のしあわせ。

トーダンス

大正時代のバレリーナ

日本に最初にクラシック・バレエが
入ってきたのは、エリノア・パブロワが嚆矢
というくらいしか知らなかった。
偶然、高木徳子というダンサーについて
読む機会があった。

彼女はアメリカでダンサーの経験があり
日本ではモガ・モボと言われた
大正モダンの時代。
浅草では、熱狂的なオペラブームがあり
興行にかけられた舞台で
活躍したそうで、
つま先で立って踊る
つまりポアントで舞台で踊った
最初の日本人女性と記録されているそうだ。
当時は「トーダンス」と呼んでいたらしい。

tokuko takagi 2


モノクロの写真で見る彼女は
とても美しいけれど
わずか28歳で、精神に破綻をきたして
亡くなってしまったという。
ペラゴロという親衛隊までいたのだから
元祖アイドル?!かもしれない。
夢幻と題された舞台シーンの
古い写真。
1915年当時の日本人にしてみれば
やはり信じられないような
夢の1シーンのように見えたことだろう。

1915.png