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記憶といういきもの

忘れる、忘れない、忘れたい、忘れられない





一番最初の記憶は何ですか?





ぱきっと答えられるひとはすごい。
うーん
考え込んでしまうだろう。普通。
でも、反射的にあるシーンが
そのことばでよみがえるということは
結構あるかもしれない。

今思い出せるのは
母が薄暗い台所(決してキッチンとは呼べない北側の場所だった)
で、お彼岸のおはぎを作っているシーン。
わたしは床にしゃがんでいる。
母は、黒ゴマやきなこや粒あんの
3種類のおおぶりなおはぎ
つまりぼたもちを作る。
記憶が錯綜しているのは
お彼岸なのに、私が夏の
ノースリーブのワンピースを着ていること。
弟は隣にいて
妹は続きの六畳間の歩行器の中に
入れられていた。


これが、私の記憶の原風景ということになろうか。
しかし人間の脳はとても巧妙らしい。
記憶を自分の都合の良いように
勝手に組み替えてしまうらしい。

するともうひとつの不安が
私の中に生まれる。
いったい何を都合よく消去し
脚色し、組み合わせて登場した記憶の原風景なのか。
私が忘れたことや、忘れたかったことと
忘れないでいること、忘れられないことはどのように
脳の中でモザイクのパズルを組みあげ
私に思わせるのだろう。

自分がずいぶん長い間
このひとの人生に深くかかわりたいと
思うことなく
一日が飛ぶように過ぎている時間を
過ごしてきているのだなと
思う。
それは決して不幸なことではない。
限られた時間を、どれだけ豊かに
忘れられないことで満たしていけるのか。

無為の時間の余裕を失うことが
歳をとることなのだともあらためて思う。





ふと眺める路傍の一輪の花
空の色 雲のかたち
日差しと影
ビルのジャングルの向こうに見える景色
今日読んだ数行の本




あとどれだけ
うつくしいものに出逢うことが
できるのだろうか。
観たり、聴いたり
Life is so beautiful
But never be perfect



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